現代のサムライたちの時空間へ

そもそもまず「サムライ」とは

写真は、後三年の役における源義家主従 (飛騨守惟久『後三年合戦絵巻』、国立博物館所蔵)より

 

平安時代に登場

 

侍の歴史は、平安時代頃に身分の高い人々にお仕えしてその身辺警護をする人達を「侍」と呼ぶようになった事からはじまります。この時代に侍と呼ばれていた人達は武士の中でも比較的身分が高い位の人達でしたが室町時代になると侍の定義は多少変化し、足利一門に従う者が「侍」と呼ばれていたようです。

やがて足利家の滅亡とともに室町幕府が滅び、各地で大小様々な争いのあった戦国時代に突入。この時代になると、戦〔いくさ〕で戦う者の事を侍と呼ぶようになります。すなわち腕っぷしの強い兵士が常に求められていたため、どんな身分の者でも戦場での働きによって侍になることが出来ました。中でも有名なのは、油売りから戦国大名になった「斉藤道三」や、農民の子から戦国武将となり、天下を統一した「豊臣秀吉」。

江戸時代になると、幕府のもとで、旗本以上の武士階級をさして「侍」と言っていました。ただし、士農工商の身分制度が確立した以降は「武士」全体を指して「侍」と呼ぶように。やがて明治維新で江戸幕府は崩壊し、西南戦争で敗れた西郷隆盛を最後に侍は歴史から姿を消したのです。

武士道

 

日本の侍(武士)達は、「武士道」と呼ばれる独自の 「理念」 「思想」 を持っていました。武士道の礼儀や心得などは「武家」によって色々と解釈が異なりますが、一般的に「自らの行動や責任に命をかける」、「一命を賭〔と〕して殿に仕える」、「失敗をした際には自分の命を捨てる覚悟を持つ」などというもの。これらの「命をかける」という思想から、日本の侍には「切腹」という文化が生まれます。失敗した際には、自らの腹を斬り、命を捨て、けじめを付けるというものです。西洋において武士道に似た「騎士道」というものがありますが、自らの命を絶って責任をとるという概念はありませんでした。「切腹」によって自らの命を捨ててまで責任を取ろうとする「武士道」は、世界的にもかなり異質なものであったと言えます。

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