現代のサムライたちの時空間へ

サムライ伝Vol.9 後編 イタリア料理人 小池 教之氏

前編では、10年間シェフを務めた広尾の「インカント」を、独立のために辞職してから、ご自身のお店、「オステリア・デッロ・スクード」を開店されるまでの、人生で最も過酷だった半年間をご紹介しましたが、後編では、その小池氏の料理人としての哲学、コイケイズムと、今後の展望についてご紹介したいと思います。

前半の記事はこちらから

 

小池氏は自身のご仕事について「イタリアの伝統料理を作っているだけであって、そこにオリジナリティやアレンジを加えている感覚は無いです。新しいことを生み出すのではなく、深いトンネル掘っている感じです。」と表現されます。その、深く掘り続ける人はどんな人で、掘られるトンネルの先にあるイタリア伝統料理とはいったいどんなものなのでしょうか。

 

最初に小池氏の料理を食べたのは、中華料理の会食の後に、デザートと食後のワインを頂いた時。

 

その時の写真を2枚。今流行の、インスタ映えするような奇をてらったデザートではなく何の素っ気も無い正統派。その味を文章では伝えきれないのが歯痒いですが、その美味しさは、自分の過去に食べたデザートの記憶の中でも郡を抜いていました。

 

サムライの哲学

 

その後も毎回、出される一皿の存在感に驚愕。なので取材時には、どうしてあれほどに美味しいのか、ほかとの差はどこから来るのか、など、食べ手としての純粋な好奇心で質問していました。そのお話の中で語られた料理哲学などをご紹介したいと思います。たぶんご本人にとっては、当たり前に、日常的に、自然にされていることで、普段は無自覚なことなのかもしれません。

 

人一倍味見

 

「人一倍味見をします。私の料理は、日本人向けの味付けではなく、自分が積み重ね、感じ、信じてきたイタリア料理として美味しいと思う味付けで、自分のボーダーラインまでは迷い無しです。途中スタッフにも味見してもらい確認はしますが、少ししょっぱいかなと思っても、お客さんの年齢や飲んでいるワインによって調整したりしながらも、これぐらいのほうが ”良し、イタリアだ”と思えばそのままお出しします。センスがないのかもしれませんが、パスタとか、時間の経過とともに3回ぐらい茹で具合チェックしたり常に味見。味がぶれないってのはそこかもですね。最後の調味料はとにかくイタリア愛です。」

 @mtweb

 

味見をする上で不可欠なのは、近づけたいと思う”味”を過去に体感して、持っているということ。氏は自宅の一室の壁面がすべてイタリアに関する蔵書だと言う。原書でレシピなどを読む時には、その土地の気候とか風景や、触れ合った人たちも思い出しながら、まるでアルバムを見ているようだと言う。”味”の記憶とともに、その料理の歴史や理解が広く深く、その引き出しもたくさんあるがゆえ、イタリア全20州の料理を網羅した企画などの離れ業もできてしまうのである。その上に、1度はまったらとことん追求。いつだったかお邪魔した時に頂いたスフォリアテッラ・リッチャというパイの美味しさは格別で、毎日仕込みの時間に、店のテーブルをすべて繋げて、長いパイ生地を透けるほど薄く延ばし、巻いてしごいてメダル状に切って成形、クリームを詰めてオーブンで香ばしく焼き上げるという気の遠くなるようなプロセスの結果を、いかに美味しくするかの研究が2年間も続いたというパイでした。それでもまだなお改善する余地があるのだそう。つまり「終わりは無い」と。

数字にも意味がある

 

「基本的に料理のレシピに数字は出さない、と言うより出せないです。パーセントとかグラムではなくて、例えばその塩が何を意味しているのかをスタッフにも理解してもらいます。でなければ、将来独立しても人を育てられない。レシピを数字や作り方だけで捉えるのではなく、イタリアが育んだ歴史や伝統を踏まえた上で、1つ1つの料理を理解し、感じ、伝える、それが伝承、伝統です。特に私の下でずっとやりたいと申し出てくれた人達、コイケイズムを引き継ぐということはそういうことで、伝える側の責任と、伝えられた側の責任。イタリアから、師匠たちから受け継ぎ、この25年間ぶれることもなく、貫いていますし、これからも繋げていきます。」

 

 

 

すべてを記事にすることができないのですが、毎回サムライ伝の取材を通して、サムライ達に多くのことを学びます。小池氏にもいろいろなことを学ばせていただきましたが、その中でも、いかに”基本”が大事かということは、その結果である料理を体感することにより説得力があります。面白みの少ない”基本”を、地道に黙々とマスターすることは、わずかな差をも極め高い完成度を追求する、”一流”の条件なのだと思いました。

そして、氏はその”基本”や発展させた応用を、共に働く人たちにも伝えています。とにかく、人との関係が暖かく濃い。お店へ何度か訪れていると、取材中にもいろんな人が来店。そのときの短いやりとりや空気感で、今までその人と築き上げてきた信頼関係や、憎まれ口のような言葉の中にも、お互いを思いあう様子などが伝わってきて、微笑ましく、暖かい気持ちになります。自分の下で働きたいと言ったスタッフとのやりとりも、苦楽を毎日共にしながら、新しくできたお店を共につくりあげて行こうとしている連帯感があります。かといって、お客さんやメディア、評価機関に媚びる様子もなく、お世話になった人、親しくつきあう人達にきちんと目を向け、割り切る関係は割り切ってつきあう聡明さも持っている。

ある材料をうまく活用

 

「肉や生ハムの切れ端肉や残った骨などを、ためておいて出汁をとり、料理にもどすという行為は必ずやってますね。使い切る。食べられるものは食べる。それでも残れば出汁。セミナーなどでもやりましたが、商品や料理を美味しいと紹介するのは比較的簡単なのですが、残り食材を、出汁以外でも、美味しくなる使い方を紹介していけたらと思っています。イタリアで教わってきたように、焼き材の残りの端肉とかハムの切れ端をうまく混ぜて詰め物にしてラビオリにする。トルテッリーニ等の詰め物もそもそもそういうもので、地味ですがイタリア料理がイタリア料理たる大切な理念です。ある材料をうまく活用できて、しかもすごく美味しくなる。先人達の偉大な知恵に敬意を表し、大事にしたいと思っています。美味しいものをどうやって作るかというのは、技術も大事ですが、それ以上に、理念というか気持ちというか、アイデンティティが大事だと思っています。」

「refettorio milano」の画像検索結果

@Taxidriver  ミラノ万博でフードロスと貧困を同時に解決するために、世界のトップシェフ達が、廃棄予定食材で美味しい料理をつくり、貧困層に無償で料理を作り提供した食堂「Il Refettorio」

 

地球上には飢えに苦しむ人が8億人近くもいる一方で年間13億トンもの食品が捨てられているという。私も廃棄されていた着物を再利用するために、このサムライ伝の源泉であるサムライという着物ネクタイブランドを立ち上げた。20世紀は資本力のある国や企業が経済効率のために大量生産大量消費、今は大量破棄されている。一部の国や企業の経済の充実と引き換えに、地球全体でバランスを失ってしまった。21世紀に世界の人たちが豊かに幸せに生きるために、食材だけに限らないけれど、地球の恵みを効率的に循環させていけたらと、氏の言葉を聴きながら深く共感し、応援したいと思いました。

 

サムライのこれから

 

これからしたいことは何かとお聞きすると、「イタリア料理のすべての料理の歴史、ルーツを知ること。」と言われる。「イタリアと直結した仕事をやり続け、自分が動くことで、イタリアを取り巻く日本の環境に 風を起こせたらと思います。あとはもう1度ちゃんとイタリア語かな(笑)」

 

余命3日の問いには、「最後ぐらい楽にと思います。最後はイタリアに行きたいんですけど、母親を看取って思いましたが、家族に見守られていくのがいいのかなと。でも僕、丈夫なんで、また看取るほうかもですね。いつもそういう役回りなんです。初めて親を亡くすという経験をして、いつ何があってもおかしくないと思いました。なんとなく生きてるのはいやなんで、毎日毎日を一所懸命生きていたいです。」

 

価値観などを表現したい

 

侍「私はこの店で、誰に遠慮する事なく、自分が出来る限りのイタリアを表現したいと思っています。いいも悪いも自分の責任。ただ、少なからず、家族とスタッフには、飯食わしてあげられないとですね。それで充分です。お金儲けしようとも思ってないし。それこそ、料理そのものだけでなく、”イタリアの食文化”という価値観などを表現したいと思っています。」

 

Osteria dello Scudo

〒160-0011

東京都 新宿区 若葉 1-1-19 Shuwa House 1F

tel 03-6380-1922 

営業時間   日曜休    18:00~23:30

公式ホームページ

FACEBOOK オンライン予約ページ

 

 

小池氏が目指すものは、イタリア郷土料理の継承と進化。そのためにまずは伝統を知り、守る。それが店名にも掲げられた盾(スクード)の意と紋章。2000年を越すイタリアの複雑な歴史とともに各地方で、各家庭で、連綿と受け継がれてきた、それぞれの味と文化。かのモデナのシェフ、マッシモ・ボットゥーラも、まずは伝統を知り、懐疑的に見直し、一度壊し、現代的なキーワードとともに再構築させると言い、不可侵であったイタリア伝統料理を前衛的に創造しつづけ、イタリア料理界に、はじめて世界1という、栄誉をもたらしました。「伝統」という日本語は、伝えて、総べる、と書きますが、「伝統」は、明治時代以後に一般的になった言葉で、元は「伝燈」と書き、お燈明を意味する仏教からきている言葉です。比叡山延暦寺では、1200年前に、最澄によって最初の志とともにかかげられた燈火が、今もなお、1度も消えることなく、燈り続けています。この不滅の法燈を守り伝えるために欠かすことのできないことは、常に新しい油を注ぎ続けること。今ある燈火を守っているだけでは、やがて消えてしまいますが、常に新しい油を注ぐことで、その火はずっと、つながっていく。もし油を注ぐことを怠れば、火は消えてしまう、それが「油断」というのだそうです。前世がイタリア人だったらいいなと言う、日本人である小池氏と、すきやばし次郎さんから、あんた前世は日本人だなと言われた、イタリア人のボットゥーラが、ともに毎日していることは、伝燈に常に新しい油を注ぐことで、その注ぎ方に違いがあれど、油断大敵にて、常に真摯に、情熱的に、厨房に立ち続ける。その姿が、その未来が、その伝燈料理を食べることが、楽しみでならない。

メッセージ偏

最後に、後輩たちへのメッセージと、厨房での小池シェフの姿をお届けします。

信じた道をやりとげる勇気を

未来をつくるのは自分。

成長の過程の中で、沈んだり、実感があったりとか、バイオリズムやそのときどきの環境があると思うんですが、自分がこれぞと信じて一生を傾けていこうと思えるものが見つかったとすれば、今こういう時代だからこそ、評価されるためでなく、自分をしっかり持ち、失敗しても成功しても、信じた道をやりとげる勇気がほしい。そうやってがむしゃらにやってるといつか何か見えてくると思う。

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