第4回目は、私の長年の友人が”侍”と言ったら彼だとイチオシする、山梨県上野原市で、世界最小、世界初などの金型に挑戦し続ける”株式会社かいわ”と、渋谷道玄坂にてファッションコーディネイト 買物代行やオーダースーツのサービスを行う”ルックアップ”を経営をされている山添重幸どのです。お仕事で東京に上京された7月最終日、銀座にてインタビューは行われました。暑さと忙しさのせいでいささか体調不良だったのにもかかわらず、慣れないインタビューにおつきあいいただきました。
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サムライのルーツ
生まれ、育ち、現在も、山梨県上野原市。小さい頃はきかん坊で、親御さんは未来が不安だったそう。小学校のときはからだも小さくていじめられっ子。父親が柔道の家系だったので教わる。
侍「大学とか講演でも学生に話しているんだけれど、卒業単位が足りなくて大学卒業できないと思ってたので就職活動もせずにいたら最終的に寝ないで勉強したら卒業できてしまったので、プーになったんだけれど、親父に「遊んでるんなら知り合いの会社に行って来い」と言われ入ったんだけれど半年でケンカしてやめてね、その後は親父の会社に入らされたんだけれど、そこからはおもしろいというか、濃かったかな。今、うちの会社って社員に仕事を教えないの、自分で努力しなさいってことなのね、”かいわ”に入って直ぐに機械と金型を与えられてこれでプラスチックを成型加工をやれと渡されて、電源の入れ方もわからないんだけれど、作らないといけない状況に追い込まれて結局自分で調べて、そしたらあっというまに覚えられた、実践で鍛えられたんだよね。親父はおれが会社入って10ヶ月ぐらいで亡くなって、褒められたことなかったんだけど、死ぬ前に始めて褒められてうれしかったな。24歳ぐらいかな。それから役員になって2年ぐらいは昼間営業に出て300キロぐらい車で走って、帰ってから成型する毎日、そして27歳で社長になったの。」
「親父がもう1つ会社を経営していて、その会社というのはもともと親父のお客さん(取引先が倒産して、勤めていた社員が始めた会社)が経営していたんだけど、赤字続きでもうだめだってところで親父が投資し、社長として立て直して。そろそろ給与がとれるかなというときに死んでしまったんだけど、親父が助けた会社の社員たちが初七日もすぎないうちに会社をよこせと言ってきてね。会社の状態がよくなったから自分たちでやると。そのときに人って信用できないんだなって、助けた人ほど裏切ってくるって思ってね。24にして人間不信じゃないんだけど、人間の汚さを知っちゃって、それから同級生と会っても無邪気に馬鹿話ができなくなってね、それがある意味寂しかったな。」
サムライのいま
うちの親父すごくカッコよくってね。仕事のためなら死ねるって
「ダメな俺にとって、親父が亡くなったことが、1番おれにとっては1番の特効薬だったなって。自分でやるしかないというふうに追い込まれてね、うちの親父すごくカッコよくってね。入院して癌だったんだけど、我慢強くて見舞にも来るなって言われて、1ヶ月ぐらいで死んじゃったんだけど、入院したきり会ってないのね。取引先の方が来られるとシャキッとしてたみたいで。入院する前に、おれは仕事のためなら死ねるって言ってたかな。。危篤になってから会いにいってねそのまま。」
「亡くなってからは、親父といっしょに会社はじめた古い人たちは、仕事のアイデア出すとやることなすことすべて反対されてね、考えたら職人さんだからそんなもんだよ。いきなりガキが出てきてあれこれしてって言われたらそら気分悪いわ。いろいろアイデアつくったんだけど、全部反対。敵は外にも内にもいるみたいな。その人たちにはまったく協力性なくって、最終的にはみんなやめてもらって。その10年後ぐらいかな。会社がすごく儲かった時に、その人たちに気持ちを持って行ったよ。喜んでくれたんじゃないかな。技術も何もなくなってしまって新しく会社をつくったみたいかな。作り直すみ感じだった。それまでは親父時代は自社ヘリを買うかぐらい儲かってたんだけど、親父が亡くなって信用ないし取引先も不安だから仕事も半分以下に減って、だんだん会社が赤字体質になってきてね、でも新しい取引先を開拓してきても嫌われて、嫌味言われて、たぶん仕事増やすなって事。」
上の写真は、会社見学の説明時のお写真と、最近販売をはじめた世界最小のLEGOブロック。右はスイス人外国人技術者を感動させたという世界1の保持精度を目指して開発してきたバイス。世界最小、世界初を追求し続けている。
「今好評を得ているのはバイス 昔で言うと万力(まんりき)。万力ってはさむもの。それを機械の上に置いて部品を加工するんだけど、そこにはさむと精度が出ない、位置がでない。それで女性社員がすごく困っていて、もともと古い建物が好きで、法隆寺の構造体がもしかしたら役にたつかもと思いついて、それを使ったら精度が出て。商売考えずにやっていたんだけれど、他にもバイスで困っている人がいるかなと思い、商品になったらおもしろいかなと良いなと。開発したバイスを先日、工作機のトップメーカー様に10社程売り込みに行ったんだけど お陰様で 一社以外は 高評価で、 今日伺った 海外のメーカーさんの スイス人技術者さんには 感動したと言われ 嬉しかったな。日本でもヨーロッパでも 感動してもらえる バイスを作りたかったので チョット自信が付きました。世界一の保持精度を目指して開発してきたバイスでこれから 本格的に販売に力を入れて行きますよ」
好きな武将はとお聞きすると「おれね、好きな武将とかないんだよね。やっぱり残った文献の人とかでしょ?つきあったことないしね、あえて言うなら親父かな。」そこで嫌いない人はの問いには、「人を利用するだけ利用する人。利用されてきたからね~好きじゃないね。なんかすぐわかるんだよね。あと金にきたない人とかね。うそつくやつとかね。それを正さないやつとか。」そして好みの女性はとの問いには「昔は、自分のこと棚にあげて言うけど、めっちゃくちゃ美人とか。最近はないね~普通でいいんじゃないの。気にしてないな。基本素直がいいかな。」
趣味は、「釣りもするし、刃物も研いでる。」釣りの魅力はとお聞きすると「魚との騙しあいかな。魚って脳みそ小さいじゃない?でも同じ船で釣りしているのにやたら釣る人もいて、ものづくりでは世界1とったけど、釣りでは世界1になれない、その攻略できないところが魅力かな。」
あなたにとってネクタイとはの問いには、「もともと日本人って着物を着てたんだけど、おれたちの時代はビジネスはスーツだから、感覚的に言うと、やはりなんかきっちり仕事をするとか、大事な人と会うときにはとか、一大イベントのときとか。普段ネクタイしないしスーツ着ないし、ものづくりの会社をやってて、おれは社員の雑務をやりたいのね、自分が目立つんじゃなくて、社員に脚光をあびさせたいんだよね」
そんな山添どのにネクタイを1本選んでみました。あざやかなグリーンの変わり縞の着物からできたレジメンタルタイ。シャープなイメージそのままに、鮮やかに。
女「これから先、何かしたいことありますか?」
侍「ものづくり日本大賞で、総理大臣賞を2回とりたいかな。大臣賞は1回もらったから」
女「余命があと3日だったら何がしたいですか?」
侍「途方にくれるかな。親父を早く亡くしてるから、死に対する恐怖心があるね。今は子供のこと考えるとかわいそうだなって思うね。3日しかなかったら何も考えられないだろうな。。今52だけれど、親父と父方の祖母ともに52で死んでるから52が来るのは怖かったね。四国回ったね2回も。自分がたいへんな目にあったから子供にたいへんな思いさせるのはやだな。で、厳しくしてんの。ひとりでも強く生きて欲しいから。」
はじめてお会いしたのは10年以上前。存在感のある方で共通の知人友人との関わりを通してや、ここ1番の窮地にメッセージをいただいたりとか頻繁に会わずともいつも近くにいるようなそんな山添さんは、2年前と4年前に待望の一姫二太郎でのかわいい2世たちが誕生、不慣れな育メンぶりをときどき微笑みながらSNSなどで拝見しております。そんなゆるっとした顔を今では持つ山添どのは、過去も今も未来も、たとえ相手が女性だろうと大会社の社長だろうと誰だろうと、その場の空気や人の顔色など関係なく全員敵にまわしても、理不尽なこと筋が通らないこと周りが迷惑することなどに対しては直接相手に物申す強さ、そう認識したら一切つきあわない潔さ、頑なさを持ちながら、大勢の前では場を和ませようとする気遣いや、人の痛みを慮る優しさを兼ね備えています。ある意味不器用とも世渡り下手なのかも言われたりするかもしれませんが、純粋であるからこそ多くはなくとも信頼しあえる人に囲まれ慕われ面白い人間関係を構築されています。高みを目指される天職とともに。
メッセージ編
女「では最後に、後生に向けてメッセージがありましたらお願いします!」
本業で努力して欲しいな。でなかったら何にも生まれないじゃないか
やっぱり俺たちモノづくりしてるので、後輩とかそういう人達には本業で努力をしてほしいね。本業で努力しなければ何にもならないし、誰も認めてくれないよね。でなければ何も生まれないんじゃないかな。うまくいえないけどね、そこすごく難しいところで、嫌われるとこかな。。